青森県の縄文遺跡群 - 田小屋野貝塚(つがる市)

この前の水曜日、つがる市にある田子屋野貝塚と亀ヶ岡石器時代遺跡の見学に行きました。

二つの遺跡は比較的近いところにあり、また遺跡から発掘されたものを展示しているところが2か所ありました。

つがる市縄文住居展示資料館 ”カルコ”

・亀ヶ岡考古資料室 "縄文館"

 

"カルコ"の詳細については、田子屋野貝塚についての展示が多くされていたので、この記事で書きます。

そして"縄文館"の詳細については、下記リンク先の亀ヶ岡石器時代遺跡の記事で書いています。
tateisu19.hatenablog.jp

田子屋野貝塚 - つがる市

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青森市から津軽道を走り国道101号線を西に走っていくとつがる市に入り、街中の方へ向かいます。

するとでっかい遮光器土偶のイラストが迎えてくれました。

つがる市縄文住居展示資料館 ”カルコ”」

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ここの施設に入るとき、氏名、住所、連絡先を記入しました。やはり感染予防は大事ってことで。。

施設の中はこんな感じ。

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いきなり中に竪穴住居があってビックリしました。これは田子屋野貝塚にあったのかな?それとも亀ヶ岡石器時代遺跡?

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大森勝山遺跡でしたw

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大森勝山遺跡については、以下の記事で。やっぱり"住居跡は、現在も地中に保存されている。"ってことで、そりゃ見当たらないわけですね。。

tateisu19.hatenablog.jp

 

2階に上がると、田子屋野貝塚の展示コーナーがありました。

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この貝塚には竪穴住居があって、そこから貝殻のほかに土器、石器なども発掘されたようで。

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市浦の方へ行くと、十三湖しじみも取れることから、ヤマトシジミの殻が発掘されたのはなんか納得。

またこの竪穴住居のところから、人骨も出土したようでした。

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この展示室の中では、いつの人骨か、性別は何か、年齢は、などの分析が書かれていました。なかなか難しいけど興味深かったです。

 

2階から写真を撮りました。この大森勝山遺跡の復元竪穴住居のデカさがより分かるかとw

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このあと亀ヶ岡遺跡に関する展示もみたり、遮光器土偶といえば、、という場所に行き、亀ヶ岡考古資料室 "縄文館"に行きました。

そのあたりは亀ヶ岡石器時代遺跡の記事で纏めます。

 

そして遺跡へ。亀ヶ岡石器時代遺跡も田子屋野貝塚も近いので駐車場に止めて歩けばいいかな?と思っていたのですが、どこに停めればよいのか、、迷いました。

平日のお昼だからだったのか、特に誰もいなかったので、縄文遺跡案内所に車を停めました。

 

位置はこのあたり。

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案内所はプレハブでした。とにかく暑かったw

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この案内所にも田子屋野貝塚について書かれていました。住居跡や貝塚も。。

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この遺跡のあったころ、十三湖はもっと大きかったようで、この遺跡、貝塚があったときはこんな感じの湾になっていたみたいです。

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こういうのを踏まえると、いまの地図上で湿原や沼が多いのも、昔は湖だったってことの名残りなのかも。

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そんなことを思いました。

またこの田子屋野貝塚についてどこでどんなふうに発掘されたのかの図もありました。

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早速、この貝塚へ行くことに。

ネットで調べてみたらこの貝塚は駐車場がないとのことだったので、案内所から歩いていきました。

暑かったけど青空がキレイでした。

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こんな看板がありました。だいぶ歴史を感じるw

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ちなみに遺跡まで道路を歩くわけですが、歩道という歩道があってないようなものなので、歩くときはかなり気を付けなければいけませんでした。

トラックが何台も走っていてちょっと気を付けないといけませんでした。

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上の写真の右側に縦長の看板が立ってました。

左側の住宅の間の狭い道を上に歩いていく感じになってました。

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縄文遺跡を何か所か見学して感じたこととして、出土されるものって、ホント民家の裏庭から出てきたとかっていうのが多いよなあ。

だからこういう道を通って辿り着いたりするわけだし。

そして到着。

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どんな感じで見れるのかなあ?と思いながら見ると、案内の看板?がありました。

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竪穴住居跡、人骨が出土されたのはこちらと。。

奥の方に看板が見えました。

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ここです、と。

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正直、緑がいっぱいでどんな感じだったのかの雰囲気は写真でしかつかむことが出来ませんでした。

発掘したあと埋め戻したということで、、、ここら辺、文化遺産に登録されたら展示方法とかも変わってくるのかもですね。

しかし、こんなところ(と言えば失礼ですけど)に6000年前の縄文人の人骨が埋まっているとは、、、当時発見した人はビックリしたんじゃないんだろうか。。

 

貝塚があったところ、周囲はこんな感じ。電線もあるし、コンクリートもあるし、きわめて普通のところ。

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さらに奥にもあるようで、行ってみることに。。

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写真の右側中央と左奥に看板がありました。

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左奥の方は草木の中を向かいました。虫に刺されないかの駆け引きがありましたw

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イルカやクジラ、貝殻が発掘されたようで。

ずいぶん広い範囲で見ていたんだなあ、と思います。平成2年に県立郷土館で発掘調査を行ったとのことで、ことしは令和3年ってことは平成33年。いまから31年前かあ。。

これからさらに調査をすればまた何か出てきそうな気もw

 

真ん中にある緑色の家の辺りが、2つ前の写真を撮った辺りです。

なかなか離れていました。

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わたしがここにきたときは、誰もいなかったのですが、奥の方を見ようと歩いていたら、車でこの遺跡に入ってきた人たちがいて、いいんだ、、、とか思っていたら、カメラを抱えている人が見えました。

取材かな?と思ったら青森放送でした。見たことある女性アナウンサーの方もいたので、この暑いなか、わざわざここまで映像を撮りに来たのか、、と思ったりしました。

7月、世界文化遺産に登録されたらニュースレーダーとか特番で使うのかな?とかそんなこともちょっと思ったりw

 

そんなところを横目にここを後にしました。

 

亀ヶ岡石器時代遺跡もそうだったのですが、基本的にすべて埋め戻している状態でした。なので、実際の遺跡に行くと、ここから発掘されました、の看板はあれど、実際に掘ったあとなどを見ることは出来なかったです。

でも実際にその場所に行くと当時のこと思いを馳せることもできるので、まず発掘されたものが展示されているところを見学し、マップなどを参照しながら遺跡を見ていくのもよいかも。