3月11日。ブログを長々やっていると過去の記事を振り返れるわけで。
でもしみじみ感じるのはもう11年前っていうこと。小学生までの子供はほとんど知らないわけで、中学生、高校生でも当時のことはどのくらい記憶にあるのかってくらいなわけで。
まあじぶんも11年成長しているわけで、それでもあの日のことはよく覚えてるし、それを過去の記事にも書いてきてるわけで。
去年の3.11からの一年間で三陸地方を何度も走って、その中で高田松原の一本松や周辺の遺構、南三陸町の防災庁舎を見て、初めて東日本大震災の爪痕を生で見て圧倒されました。
地震発生時は関西にいたのでテレビ、ネットでの映像しかなく、青森に戻ってからもしばらくそちら側には行ってなかったので、かなり時間が経っていて、頭の中では知っていても記憶から少し薄れていたところはありました。
なので、実際に見たときの印象たるや。
また全国での地震の発生確率が見直されて青森周辺でもかなり巨大な地震が発生する確率が上がったり、陸奥湾に津波が襲ってきたときの最大波がより高く更新されたりなどして、いろいろ考えさせられています。
どこにいても地震は起こるし、海が近いところに住んでいると津波の恐れだってある。改めて地震について、考えさせられたこの一年でした。
...令和になって四年がたち、元年は京アニ事件や車での暴走事故など衝撃的な事件が多く、二年、三年は世界的な疫病がまん延し、それがいまだに続いている四年には戦争が勃発し。平時から有事になってそれが続いているいま、Beautiful Harmony(”令和”)という言葉を体現するような世の中になってほしいと思うばかりで。
明治以前なら改元されててもおかしくないような気がする。