Fukushima50

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3月6日から公開された映画、「Fukushima50」を観てきました。

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映画だけど、これは2011年3月11日の発災直後から実際に起きたことなんだということを頭のどこか片隅でふと思いながら観ました。

 

震災当時は大阪に住んでいたわたし。発災直後より毎日1か月以上、東電会見を見ていたり、数年経って美味しんぼやネット番組、ラジオ番組などでふくいちの吉田所長のいわゆる吉田調書などに触れたりと、ある程度知っていた風でいました。

また直接、津波が押し寄せてきて、とか避難所に避難して、とかそういうことがわたしも周りにもなかったことから、青森に戻ってもどこか同じ東北なのに人ごとのような感じにいつかなっていました。

 

そんな感じで映画を観て、客観的に観るんだろうなあーと心の中で思っていましたけど、現場で何とかしようと決死の覚悟で取り組んでいる人たちと、その人たちの家族の想い、そこを見たときにボロボロ涙がこぼれました。

そして、映画だからではなく、こういうことが実際にあの現場では起きていた。そしてそんな人たちが映画以外でもたくさん、本当にたくさんいたんだという事実を改めて感じ、また残していかないといけないと思いました。

 

令和2年3月14日のダイヤ改正常磐線が震災以来、上野~仙台間で全線復旧になります。

まだ終わっていない、現在進行形で続いているのだという事をしっかりと認識していかないといけない、そう思いました。

 

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東電本店と政府、そしてふくいちのやり取り。どういう関係性だったかが非常によく分かるもので。

政府、東電本店の関係を見ていると、シン・ゴジラの政府を見ているかのようだった。。

呆れてしまうけど、実際そうだったということも忘れてはいけない。

 

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映画とは関係なくいまだに思うこと。

発災時、なぜ政府は国民向けに即時にSPEEDIを出さなかったんだろうか。一週間以上出てこなかったような気が。

勝手に思っていることとしては、

パニックになるのを押さえたいと思ったからなのかな?いまのティッシュペーパー不足みたいになるのを防ぐために。

だとしても公表すべきだったとは思いますけど。

 

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シン・ゴジラ以来の久しぶりの映画でした。

原作者の門田隆将さんがこの映画について、というかこの時の様子をお話しされてました。これを見てから行ったのでより深く見ることができました。

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