今日は平成31(2019)年3月31日。
明日4月1日は新年度。そして新元号の発表が行われます。
テレビやネットでは新元号は何か、とかどんな流れになるのかとか、いろんなことが取り上げられています。
もちろん、これまで元号が変わることは直近でこの30年なかったわけで、日本にとっては元号が変わることは、新しい時代になるということだし、取り上げられるのはそりゃそうだ、って思います。
しかも30年前は昭和天皇崩御のとき、悲しみの中での元号が改められたわけで、今回のようにご譲位により元号が変わるのは江戸時代の光格天皇以来、約200年ぶりのことということで、なおさらです。
新元号は4月1日11時30分に発表とのこと。
「平成」が発表された昭和64年1月7日の日、何が起きているのかよくわからずに過ごしていました。覚えているのは翌日、平成元年1月8日。特撮ヒーローの番組が特番で中止になってガッカリしていたことくらいです。
Youtubeを見るようになって当時の改元のときの映像を見てこんな感じだったのかあ、って思って見たりしています。
明日の新元号の発表はテレビの前でじっくり見ていたいと思います。(そのために仕事は休みましたw)
どんな元号になっても絶対最初は違和感を感じるだろうなあ。
きっと"平成"になった時だって、60年以上使われてきた"昭和"から代わることで違和感を感じた人はたくさんいたはず。ってことは新元号だって同じこと。。
そしてそれは元号だけでなく、名称だって同じことだと思います。
いま一部で署名運動も起こっている山手線新駅「高輪ゲートウェイ駅」
わたし個人的にはこれはアリだなあって思ってますw
山手線の駅として"ゲートウェイ"ってどうよ、って言う人が私の周りにもいます。
その気持ちも分からなくないことはないですが、それでも最近の駅名としては別に問題はないように思います。
駅の機能単品としてみればどうかと思っても、いま開発している駅も周りとの一体型の開発をしているようですし。
そして青森に住んでいるものとしてはより身近なところで新しい名称を決めることが幾つかありました。
平成22(2010)年12月4日、東北新幹線の八戸~七戸十和田~新青森間が開業しました。これによって東北新幹線は東京~新青森間で全線開業を迎えました。
新青森駅はもともと新幹線駅を建設するために早くから奥羽本線に無人駅として作られていました。七戸十和田駅は連絡する鉄道がない状態で新しく作られました。
いま聞くと何も違和感を感じませんが、この駅名に決まるまでは「七戸駅(仮称)」でした。いまもこの駅舎がある場所は、青森県上北郡七戸町です。十和田市は七戸町に隣接している市なのです。なので十和田っていう文字が駅名に入ると最初は違和感でしかありませんでした。そもそも十和田じゃないし、っていうか十和田湖もかなり離れてるし。。
わたしはしばらく七戸駅でいいじゃん。って思ってましたw
でも決定して使われていると耳になじんでくるものでw
JRで東北新幹線全線開業と同時(実際には、鉄道開業が数か月先行)に320kmで営業運転する新型車両の投入が決まっていました。
ちなみに試験車両はFASTEC360。デザインはこっちの方が好きなわたしw
このE5系の名称を決めるときも公募でした。印象的だったのは2位の「はつね」。
初音ミクの色をした車体からかと思うのですが、いまにして思うとはつねでなくてよかったな。と。
個人的には東北本線で青森~上野間を走っていて東北新幹線八戸開業まで使われていた「はつかり」がよかったです。「はやぶさ」といえばどうしても九州地方をイメージしてしまうもので。。
でも名前決定から営業運転開始までの間で、そんなもん勝手な感じで鳴れてしまいましたw
この車両が営業開始してから数日で東日本大震災が発生し、しばらく運転が見送られることがありました。いまにして思えば東北新幹線の開業が先行していたのは良かったのかも。
当初、新函館(仮称)駅でしたけど、駅舎建設が北斗市ということで、北斗駅、北斗函館駅など出てきていて、最終的に新函館北斗駅になりました。
時間が経って、これも耳馴染んだ駅名になりました。
いろいろ反対意見もあるだろうけど、いずれ慣れるだろうし、耳にもなじんでくると思います。
高輪ゲートウェイ駅については、JR側でもっと駅周辺の情報を公開してどういう街にしていくかなどを展開していくことで取り組んでいけば駅名が繰り返し耳に触れることで馴染んでいくんじゃないのかな。ゲートウェイとして相応しく無くなれば名称変更とかもありえるだろうし。
これまでこうだったから、ではなく伝統は守りつつ時代に即した風に変わっていくのはありじゃないかな、って思いました。
あしたは新元号発表の日。
日本の時代が代わるまであと1か月。これまで30年の中で一番”平成”を感じる月になりそうです。